東海道は生きている
TBS「世界ふしぎ発見」江戸の旅東海道五十三次として放送していただきます。
浮世絵に描かれた風景も今風にいうと「インスタ映え」したイケてる風景
当時も「一度は行ってみたい風景」「食べてみたい名物」だったのかもしれません。↓
そして①「宿場の仲間」
浮世絵に描かれた55か所は今も昔も変わらず「東海道」という道でつながっています。
この東海道のお陰で現代ではこんな出会いもあります。
「宿場」っていうだけで結構共通点も多かったりして、宿場で頑張っている方との繋がりができつつあります。
まだまだ点と点のつながりですが、この一人一人の周りにはそれぞれの宿場に対して想いを持って活動し、お互いを応援し合っている皆さんがいるんだと思います。
だからこそ一人との出会いって大きいんだと思います。
2年かけて一人一人にインタビューし、その宿場の浮世絵と共に皆さんの歴史や思いをパネル展示した取り組み。
グッドデザインしずおか2021 特別賞を受賞しました!
そして②「これからの東海道」
2023年 NHK大河ドラマ「どうする家康」
2024年 パリ五輪 ←フランス人は浮世絵好きだし、日本にも通じるものがあると聞くので、ぜひ宿場メンバーでパリにプロモーション行きたいと思っている。
2025年 大阪万博 ←東京・京都・大坂をつなぐのはまさにぼくらの「東海道」。だとすると、2020東京オリンピックに来れなかった、でも日本行きたい!外国の皆さんが来るのはこのタイミング?!コロナもぼちぼち落ち着いてきてると思うので、江戸時代以上に活気ある宿場でお出迎えできれば、「二ホンサイコー!」ってなるのでは???
このイベントを見るだけでも、これから始まる3年間は後にも先にもなかなかない3年間となりそうです。
まだまだ東海道には自分たちでも予測できない可能性に溢れていると思います。
今のつながりをさらに深めて、次の子供たちに「楽しい東海道」が残せたらいいなと、そんなことを子を持つ親として思っています。
2018年茅葺修復お披露目パーティーの際、宿場の3夫婦がそろいました。懐かし~↓
(左)丸子宿丁子屋14代目 (中)箱根宿甘酒茶屋13代目 (右)関宿深川屋14代目
箱根甘酒茶屋さんにご案内いただいた箱根の一里塚前にて↓
建物は戦争で焼けてしまった宮宿だけど、宿場を盛り上げようと活動している「あつた宮宿会」のみなさん↓
(左)蓬来軒さん (右)きよめ餅総本家さん
偶然寄った関宿で、偶然お会いしてそれ以降「東海道のアニキ」と慕わせてもらっている吉右衛門さんご夫妻↓
ここでは紹介しきれないほど多くのみなさんが、それぞれの宿場で商いをしながら、地域のことを考え頑張っています。さらに静岡~藤枝の東海道では2020年に文化庁日本遺産に認定いただくなど、まだまだ進化していくと思います。
そこに暮らす人、訪れる人、商いする人、みんなで楽しみながら。時代時代で一生懸命の積み重ねをしていければいいなと思います。
だから「東海道は生きている」と思っています。
なんにせよ、家康さんも広重さんも「お前らまだやってるのか~」と驚くような道にったらいいなと思います。
#東海道五十三次 #丸子宿 #丁子屋 #東海道は生きている #とろろ汁 #TBS #世界ふしぎ発見 #宿場なう
みんなが安心できる場所を目指して
先日、石原社労士立ち合いの元
就労規約の読み上げ会を行いました。
今までこのような場を持つことはなかったのですが、
規約は労働者を守り、そして会社も守るもの。
セクハラ・パワハラにあたることなど結構細かいことまで書いてあって
「やってる側」には下手したら意識なかったとしても
「やってる側」と「やられてる側」 そんな関係性になってしまっていることもあるかもしれません。
そうならないためにもと、
そして労使の関係においてもお互いに知ってこそ役立つのではと思い、
こんな場を作ってもらいました。
「みんなが安心できる場所であるために」
集客の落ちてしまっている今だからこそ、こうした足元を見直す時間も大事かと思いました。
そして働く方が安心できるからこそ、
お客さまにも安心して楽しんでもらえる空間ができるものと考えてます。
で、そんな空気だからこそ、振り返ってみればずっと続いてきたんだなと思える時がくればいいなと思います。
ちょっと古い写真の話
店内に飾ってある写真です。
このあたりの歴史はテレビでは取り上げられにくい話題ではありますが、それでも江戸時代から現代までの移りかわりを伝えるものです。
現在もまさにコロナに直面してます。
きっとどの時代のみんなもいろんな問題に直面していただろうし、まったく平坦な人生なんてないと思います。
今でいうと
通信販売を始めたり、
マイクロツーリズムのような街道沿いや地域ごとの連携が動き出しているのは
こんな逆境だからこその
「生き残りをかけた進化」なのかもしれません。
いずれ当たり前になってることも、
「あの苦しみの中だからこそ生まれたよね」って振り返られる日が来ます。
その時の為に、
この長いトンネルの先にどんな風景を見据えながら、今どう動くか。
そう考えたらとてもしんどいけどドラマチックな瞬間なんだと思います。
「大きく変わる」と書いて「大変」
これも何となくわかる気しません?
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店内に設置してあるちょっと古い写真
キラキラスーツの岡本太郎さん(右)と12&14代目。
残念ながら全く覚えてません(;^ω^)
1964年、前回のオリンピック聖火リレー。
東海道も走ったようです。
1970年かやぶき移築前の丁子屋。
角度は浮世絵と同じアングル。
同じ場所で、同じアングルなのに。
やっぱ茅葺があるのとないのとでは、かなり違った風景になります。
1970年解体風景。
先ほどの太郎さんの部屋が街道沿いに面していましたが、
それを後ろに引きずって(引家【ひきや】というそうです。)できたスペースに茅葺を移築しました。
1971年4月16日
先月移築してからちょうど50年を迎えました。
戦後からはシベリアに抑留、4年後に命からがら帰還し、丁子屋に婿入りした12代目。
その奥さん(僕の祖母)とともに戦後から復興、経済成長の時代を乗り切ってくれました。
その間、茅葺を移築したり、自然薯の栽培を静岡に普及させたりと、祖父は丁子屋の基礎を築いてくれたいわば創業者。
その祖父の話をニコニコと、いつも聞いていた祖母の姿は今もしっかりと記憶に残っています。
11代目賢吉さん
僕が小学校の時に他界しましたが、13代目の話によると
擂り粉木を握り続けたことで手には硬い「たこ」があったんだそうです。
当時は人を雇うほどの店でもなく、街道の茶店だったと思うので
まさに浮世絵のあの雰囲気だったんだと思います。
大正時代には「汚すぎるので、もしとろろ汁を食べたいのなら「府中」(現静岡市街地)まで行って、
器を借りてきた方がいいよ」と書かれた小説も残っています。
それを乗り越えてきてくれたおかげで今があるんだなと。
知らないだけでどの時代にも苦労があったようです。
ここまでくると、先人に感謝ってなりがちですが。(それも大切ですが)
こんな不安な状況の中、日々お客様の為に頑張ってくれているスタッフや、そして自分の家族に。
今「ありがとう」と直接言える人たちにちゃんと感謝を伝えながら、
変えていくべきは変え、残すべきは残していかなきゃなと思いした。
「今」を大事にしていきたいなと思います。
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